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2012年 01月 25日
山岳映画「ヒマラヤ運命の山」
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ナンガ・パルバート(ナンガ・パルバット)は世界第9位(8,125m)の標高をもつパキスタンの山で、ウルドゥー語で「裸の山」という意味だという。「ヒマラヤ運命の山」は1970年に、ドイツ隊によって行われたナンガ・パルバート(Nanga Parbat)・ルパール壁への挑戦を描いた映画で、ラインホルト・メスナーの著書『Der nackte Berg - Nanga Parbat』(邦題「裸の山 ナンガ・パルバート」) を基として製作された映画だ。
のちに超人といわれるメスナーだが、この挑戦では弟ギュンターを失いながらも生還を果たす。映画ではその兄弟が子どもの頃からクライミングに目覚め、共に成長していく過程も描く。加わったドイツ隊での人間関係と確執。8000m峰への挑戦であっても、良くも悪くも極めて人間的なものがそのまま高所へも持ち込まれる。正確には覚えていないが、映画の中でメスナーが「運命の山なんて無い。山はただそこにあるだけだ。人間がそう感じるだけだ。」と言っている。確かに山はそこにある。自分がいようといまいと…
一昨年に見た「アイガー北壁」もドイツ映画だったが「ヒマラヤ運命の山」もドイツ映画。この手の映画はドイツが作ると特に重厚で味わい深い。入場者を呼び込める映画ではないので上映館は少なく、宮城福島でも既に公開が終了した。これから見たい方はDVDが3月に発売されるので、買うかレンタルとなる。

以下に公式サイトからストーリーを転載。
”裸の山”と呼ばれるナンガ・パルバートルパール壁は、多くの登山家が挑戦し、命を亡くしていた。1970年、若き登山家として 活躍しはじめた 25歳のラインホルト・メスナーは、ヘルリヒコッファー博士の遠征隊への招待を受け、弟ギュンターと共に遠征隊へ参加することになる。1970年6月、ふたりは悪戦苦闘のすえ、子供の頃からの夢だった前人未到のルパール壁の初登攀を果たす。しかし、難所の下降にほぼ成功しかけたとき、突然の悲劇が襲いかかる。登攀成功から一週間後、下山に成功し戻ってきたのは兄ラインホルトひとりだけであった。運命の山ヒマラヤで、兄弟に一体何があったのか? 無事に帰還するという母との約束は・・・。そして、その登頂をめぐって遠征隊とのスキャンダルがドイツの国中に駆け巡ることになった理由とは・・・。

by torasan-819 | 2012-01-25 07:19 | 映画 | Comments(4)
Commented by yossy1904 at 2012-01-25 23:23
映画館の大スクリーンで見たかったですね。
残念ですが、DVDの発売を待ちましょう。
映画ではありませんが、同じヒマラヤを舞台とした小説「還るべき場所(笹本稜平)」を読んでます。止められません・・。
やはり特別な場所なんですね。
Commented by torasan-819 at 2012-01-26 07:54
yossy1904さん
冒頭の登攀シーンは空撮を使っていて迫力でした。
笹本稜平氏の小説はまだ読んだことがないのですが、書評を見ると面白そうですね。
読んでみようかな。
Commented by 浜通りのしと at 2013-06-02 10:52 x
50年以上昔に「アルピニスト岸壁に登る」←邦題。原題は「真昼の星」というドキュメンタリー名画を見ました。ガストン レビファやヘルマン ブール他の天才クライマーの実写映画でした。
Commented by torasan-819 at 2013-06-03 01:41
浜通りのしとさん
コメントありがとうございます。
「アルピニスト岸壁に登る」は1959年公開のようですね。
ワタクシの生まれた年です(^^ゞ
非常に興味をそそられますが、DVDなども出ていないようで、現在は見ることができないのが残念です。


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