2012年 07月 20日
蔵王お釜周辺地形図の変遷
蔵王は地元の山でありよく登るのだが、実はそれほど詳しいわけではない。1962年にエコーラインが開通したことにより、誰でも楽に「お釜」を見ることが出来るようになった。自分も蔵王といえばお釜のイメージが刷り込まれていて、観光地という認識しかなかった。しかし古くから蔵王は山岳信仰の山であり、吉野から蔵王権現が勧請されてからは「蔵王山」と呼ばれるようになったのだという。そのため昭和初期までは盛んに登られていたということを後から知った。ということは道もあったわけで、それらの道は改良され舗装道となり、あるいは登山道になり、あるいは廃道となったのだろう。ということは、古い地図ならば道が記されているのではと思って探してみた。以下がそれで、お釜周辺だけ切り取っているが比べてみると興味深い。なお、地形図の縮尺は5万分の1だ。

                           大正元年発行の地形図(明治44年測図・大日本帝國陸地測量部)
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                           昭和29年発行の地形図(昭和6年要部修正・昭和28年応急修正・地理調査所)
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                           平成7年発行の地形図(平成4年修正測量・国土地理院)
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まず、明治の地図がかなりしっかり作成されていることに驚く。軍事上の要請から当時の日本国は、地形図の作成を陸軍陸地測量部で行っていたので、比較的短期間で精度の高い地形図の作成ができたのだろうと思う。その苦労の一端は、映画「劒岳 点の記」を見た人ならわかるだろう。明治の地形図を見ると、ひよどり越えを下りた濁川の左岸に新關(新関)温泉との表示がある。ちなみに1867年(慶応3年)には噴火による火山泥流により、新関温泉で3名の死者の記録がある。その新関温泉も昭和の地形図では無くなっているので、廃業してしまったのだろう。また硫黄坑と硫黄精錬所が無くなっていたり、大黒天から濁川右岸を辿る刈田岳への道が存在していたり、追分ルートがいったん昭和の地形図で消えたりとか、見比べてみると様々な変化があったことがわかる。2万5千分の1地形図なら、もっと色々なことがわかるだろう。もちろん地形図だけで当時をうかがい知ることは出来ないが、あれやこれや推理し想像を膨らませると、蔵王もまた違った一面が見えてきて大変興味深いのである。

by torasan-819 | 2012-07-20 10:36 | | Comments(6)
Commented by マロ7 at 2012-07-21 09:43 x
興味津々で見させていただきました。
新関温泉は渡河地点でしょうか、往時が見え隠れします。
硫黄坑と硫黄精錬所の跡地も何か残ってるでしょうかな。
Commented by torasan-819 at 2012-07-21 18:34
マロ7さん
新関温泉はあきらかに濁川の渡渉点のあたりですね。
どの程度の温泉だったのかと思いますが資料が無いのが残念です。
硫黄坑と硫黄精錬所の痕跡はどうでしょうか。
それにしても地図は色々想像が膨らみ面白いですね。
実は古い地図(といっても明治以降のですが)を何枚か手に入れていて、今後も東北を中心に少し集めたいなと思ってるんです。
Commented by 加ト幹事長 at 2012-07-22 05:24 x
右岸のとこに石碑みたいなのなかったっけ?
草に埋もれているかな・・
Commented by torasan-819 at 2012-07-22 06:19
加ト幹事長さん
そういえばありましたが、たしかあれは湯殿山の石碑だったと思います。
あまりよく見たことはなかったんですが、もしかすると石に何か書いてあるかも。
今度見てみましょう。
Commented by ナマステ at 2012-07-22 10:30 x
興味深々です
ちゅうのは、賽ノ磧から刈田岳まで先人が往来した古道を歩んで偲ぼう、言う動きが有るようです、
部外者ですが、興味は有ったので先日、賽ノ磧、蔵王寺付近にある、藪に隠れた6m位の石碑から始まる踏跡確認して来ました、
又、杉ガ峰から山形側横川への道もあったとかですが、杉ヶ峰頂上を分岐とするそれらしき面影の道も確認、
後者は、私ですが、横川から詰めて、チシマササに拒まれルート変更はしてますが、杉ヶ峰まで700m地点まで到達してます、
あまり意味は無いですが残り700mの通過が楽しみです
Commented by torasan-819 at 2012-07-23 07:37
ナマステさん
そんな動きがあるのですか興味深いですね、好奇心をそそられます。
月山でも玄海古道を再興する動きがありましたから、蔵王でも古の道を復興ということなのでしょうか。
その他にも地形図には表記されていない道があったでしょうから、いろいろ調べてみると興味は尽きないですね。
ナマステさんの調査結果を楽しみにしています。
たまには同行させてくださいね(^_-)-☆


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