2017年 04月 19日
五色温泉100年前のツアールート ~ 2017年4月9日
f0170180_03102586.jpg

4月9日は月山肘折ツアーの予定だったが、広範囲で天候が悪いとの予報であり延期することにした。しからば近場の山で標高をあまり上げないで歩けば大丈夫だろうと、吾妻山のクラシックルートである五色温泉ルートを考えた。今では歩く人も僅かなこのルートは、日本で最初のスキーツアーコースであり歴史のあるコースである。会長と話したところ、偶然会長も同じ考えで計画していたので歩くことに決めた。ただし、こちらは五色温泉からの日帰りピストンだが、会長パーティーの3人は8日に慶応吾妻山荘に泊り、翌9日に五色沼のコルまで登ってから五色温泉に下る計画だ。ルートの途中で交差することになるが、こちらは五色沼のコルにタッチしてから折り返し、会長達を追いかけ追いつこうという考えだ。


山域山名   吾妻山 五色~沼尻ツアールート(五色温泉より五色沼コルまで)
山行期間   2017年4月9日(日)
山行形態   山スキー
天候     曇り
参加者    2人(L:トラ山・O島)
行程     五色温泉5:36~四郎右ェ門沢7:19~東海大緑樹山荘8:29-8:41~家形山避難小屋9:47~五色沼コル10:06-10:13~
       家形山避難小屋10:18~東海大緑樹山荘10:33~四郎右ェ門沢11:08~昼食11:37-11:57~五色温泉12:10
行動時間   6時間34分
移動距離   14.2km (GPS計測)
累積標高差  ±1,326m (GPS計測)





日本にスキーが正式に伝えられたのは1911年とされているが、同年に五色温泉スキー場が日本で最初の民営スキー場として開設(平成10年閉鎖)されている。その当時、スキーをやれるのは上流階級や外国人に限られたが、1918年の五色温泉でのスキーの様子を記した板倉勝宣の「五色温泉スキー日誌」や「山と雪の日記」によると、大学生や外国人がスキーを楽しみツアーにも出ている様子が描かれていて非常に興味深い。スキーが伝えられてからそれほど年数も経たないうちに、一部階級とはいえツアーが普通に行われていたことには驚くばかりだ。板倉氏が感じた風景や自然に対する感動や畏敬は、今の自分も何ら変わりはないように思う。



           早朝の五色温泉宗川旅館
f0170180_01333337.jpg


           五色温泉スキー場のゲレンデ跡
f0170180_01342218.jpg


           夏道の案内標識
f0170180_01362128.jpg
f0170180_01363979.jpg


           スキーツアーのコース標識
f0170180_01400668.jpg


           冬限定ルートの標識
f0170180_01442751.jpg


           標識を確認しながら歩く
f0170180_01463561.jpg



           家形山を望む(左裾が五色沼コル)
f0170180_01511521.jpg



五色温泉スキー場のゲレンデ跡から歩き始める。実は五色温泉ルートの起点がこのゲレンデ跡なのか、五色温泉の裏手にある夏道の登山口なのかよく分からない。どちらから登ってもほどなく合わさるのだが、自分は駐車位置の関係もありゲレンデ跡から登ることが多い。時折現れる古いツアー標識について、同行のO島に説明しながら歩く。20代の彼女からすれば、50年も60年も前に付けられた標識は、自分の親でさえ生まれる以前のものになる。木に飲み込まれつつあるものも多いが、そうでないものはあと何十年も持つだろう。その時どんな人がこの標識を見るのだろうか、この標識はどんな人を見るのだろうかと思うと感慨深い。福島登高会が今でもこのツアールートを歩いて記録を取っているのは、埋もれさせてしまうにはもったいないと考えているからだ。



           四郎右ェ門沢
f0170180_01554569.jpg


           2枚看板
f0170180_01572855.jpg


           日本ビールは1964年にサッポロビールとなった          
f0170180_02052175.jpg


           蟹ヶ沢右俣左岸肩にある標識
f0170180_03120050.jpg



           長い年月を感じる
f0170180_02110589.jpg


           東海大学緑樹山荘
f0170180_02304127.jpg


寡雪の昨年はヤブが煩わしかったところもあったが、雪の豊富な今年は随分と楽に歩ける。今より雪が多かったであろう昔は、現代とはルートの取り方が少し違っていたかもしれないが、基本は安全にかつ最小限の労力で歩けるラインということだろう。自分だけかもしれないが、100年前の人達のことを想像しながら歩いていると、タイムスリップして当時の人々と一緒に歩いているような不思議な感覚になる。「山と雪の日記」にある学生と外国人のやり取りが聞こえるようだ。100年前の森の中にそのざわめきがあったのだ。スタートから3時間弱で東海大緑樹山荘に着いたので休憩にする。この小屋の前身は青木小屋という昭和初期に建設された皇族華族のための山小屋であり、昭和37年に東海大の山荘になった。一般開放されていないので避難小屋としては使えないが、ルート上の目印であり休憩ポイントになっている。



           家形山避難小屋
f0170180_02371477.jpg


           ガンチャン落としを登る
f0170180_02385096.jpg


           雪が降ってきた
f0170180_02414170.jpg


           会長パーティーに追いつき合流
f0170180_02471423.jpg


           最後のひと滑り
f0170180_02541290.jpg


           宗川旅館で汗を流す
f0170180_02564103.jpg


この小屋の先からはしばらく急登が続き、さらにその先へ進んだところで会長パーティーが前方から現れた。ルートの情報交換をしてから各々先へと進む。会長パーティーとの時間差は1時間くらいだろう。家形山避難小屋を確認し、ガンチャン落としを登り切るとそこが五色沼のコルだ。五色沼も一切経山もガスで何も見えないうえ、風雪模様になってきたのですぐ往路を引き返すことにする。ガンチャン落としは滑りにくい雪だったが、樹林帯に入るとまずまずの雪質になった。会長パーティーには東海大緑樹山荘あたりで追いつくかと思ったが、姿も見えずなかなか追いつかない。結局、追いついたのは五色温泉まであと約  kmという地点だった。昼食休憩を取ってから林間を滑り、ゲレンデ跡を滑ると五色温泉に到着した。宗川旅館の館内には、スキーが1本杖時代の写真や古いスキー道具、古い観光地図などが展示されている。入浴(600円)がてら見てみるのも良いだろう。



           GPSトラック ( 往路:赤 復路:青 )
f0170180_03033179.jpg


by torasan-819 | 2017-04-19 10:00 | 山スキー | Comments(4)
Commented by tabilogue2 at 2017-04-19 10:38
がんちゃん落としの件で前回コメントしましたが、、、 立教大学ハイキングクラブの記録をご覧になりましたか?立教大学ハイキングクラブ(RHC)の1960年当時の記録です。昭和35年の記録です。吾妻山の各ツアースキーコースが出ていました。
Commented by torasan-819 at 2017-04-20 12:50
tabilogue2さん
RHCの記録はOBの方が丁寧にまとめられサイトにアップされていますね。
もちろん以前から興味深く拝見し参考にしてました。
吾妻山域についてはうちの会長も50年近く通っているので詳しいのです。
しかし、それでも全てを分かってはいないことと、ツアー標識やその他の目印の現状把握のため、隔年程度の頻度で歩いているのです。
ほぼ忘れ去られつつあるルートですが、新しい記録をアップすることにより、歩いてみようという方のきっかけになればと思っています。
実際我々の記録を見て歩いている方と、昨年ルート途中で偶然会いました。
Commented by fck_mototyan at 2017-04-20 16:28
看板の画像すごーい。少し興奮しました。これは一度行かなくてはなりませんね。
Commented by torasan-819 at 2017-04-20 20:32
fck_mototyanさん
貴方ならそうだと思いました。
積雪期限定ルートなので今週末がそろそろリミットかと思います。
お急ぎください(^^)v


<< 東吾妻山・蒲谷地下り ~ 2...      西吾妻山・二十日平コース ~ ... >>