カテゴリ:映画( 12 )

2015年 02月 16日
山岳映画「アンナプルナ南壁 7,400mの男たち」
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アンナプルナはヒマラヤの中央に東西約50 kmにわたって連なる山群の総称で、サンスクリット語で「豊穣の女神」との意味であるという。第1峰(8,091 m)、第2峰(7,937 m)、第3峰(7,555 m)、第4峰(7,525 m)があり、第1峰の高さは世界第10位の高峰である。この山に挑戦するのは世界の中でも限られた登山家である。なぜなら非常に危険度が高いからであり、特に1峰の南壁は標高7500メートルの地点で7キロの長さで尾根を横断しなくてはならず、登るのが非常に難しい最高難度の山とされている。これまでの登山者の死亡率はなんと40%にもなり、別名「キラーマウンテン」と呼ばれているという恐ろしい山である。死亡率からすれば、ある意味エベレストの方がよっぽど「安全」に登頂できる山といえる。

2008年5月にスペインの登山家イナキ・オチョア・デ・オルツァが、アンナプルナの尾根をアタック中に標高7400メートルで高山病になり、行動不能になるという絶望的な状況に陥った。その知らせを受けた世界10ヶ国の12人の登山家は、即座に行動しヒマラヤへと救出に向かった。そのうちの1人ウーリー・ステックは自らのチャレンジを捨てて救出に向かい、いち早くイナキのもとに駆けつけた。結果としてイナキは亡くなったのだが、自らの命も危ぶまれるほどの危険な場所へと救出に向かった彼らの勇気と精神は残った。

それから数年後に、救助活動に参加した12人の登山家を世界各国に訪ね、当時の映像も加えて製作されたのがこのドキュメンタリー映画だ。彼らは知らせを受けるか、自ら知ったとほぼ同時に行動を起こしている。あり得ないことだが、もし自分なら仕事や家庭のことを考え躊躇するだろう。近くの山に救助に行くわけではないのだから。彼らは知っているのだ。イナキがいる場所に今行くことができるのは自分であり、自分しかいないことを。それを友情というのか、連帯感というのか、あるいは使命感とも表現できるのか、高所登山の極限を知り得ない者にとっては、本当のところを知ることはできないのかもしれない。
なお12人の一人、ロシアを代表する登山家アレクセイ・ボロトフは2013年にエベレストで命を落とし、同じ年にウーリー・ステックはアンナプルナ南壁の単独登攀を成功させている。

by torasan-819 | 2015-02-16 20:19 | 映画 | Comments(4)
2014年 12月 11日
映画「ワンヴォイス ~ハワイの心を歌にのせて~」
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このところ公私ともに忙しくて余裕がなく、山に行けない日が続いている。深夜に一人見るDVDが息抜きとなっているのだが、精神的に疲れ気味のときはフラ・ミュージックを聞くと心地良く癒やされる。フラ(ハワイ語: hula)はハワイの伝統的な歌舞音曲であり、フラにはダンス、演奏、詠唱、歌唱の全てが含まれる。フラ・ミュージックなどの伝統的なハワイ民族音楽とハワイアン・ポップスを含めて、ハワイアン・ミュージックと呼ばれている。
「ワンヴォイス ~ハワイの心を歌にのせて~」は、カメハメハ・スクールで毎年3月に開催されるハワイアン・スクール・ソング・コンテストという合唱コンクールをテーマに、2008年のコンテストに挑む生徒たちの姿を追ったドキュメンタリーだ。カメハメハ・スクールは1887年、カメハメハ大王直系の子孫であるバニース・パウアヒ・ビショップ王女の遺言によって、ハワイアン子弟の教育を主たる目的に創設された私立の幼小中高一貫校。ハワイアンの血が入った子供しか入学できず、応募者が多いので非常に狭き門なのだという。日本でも小中高では校内合唱コンクールが行われており、それなりに素晴らしいと思うのだが、カメハメハ・スクールのこれはさらに精神性が高い。なぜならこのハワイアン・スクール・ソング・コンテストは、ハワイの風土に根ざす伝統と文化、アロハ・スピリットに誇りを持ち後生へと伝えるひとつの「儀式」としてあるからだ。歌われるハワイアンソングは、日本でよく聞くいわゆるハワイアンミュージックとは違い、力強く迫力があり新鮮でもある。なぜか懐かしいような郷愁をさそわれるようにも感じられ、魂をぐいぐいと揺さぶられる。生徒とそのリーダーがハワイ語での合唱に挑む中で、言葉に込められた意味に気付いていく。練習の過程では試練と葛藤があるが、それを家族と教師の支えにより乗り越えていく。彼らに共通するのはハワイアンスピリッツであり、生徒達は誇り高きハワイ人へと成長していく。やがて生徒達はひとつの歌声=ONE VOICE(ワンヴォイス)になっていく。その変わりゆく様は感動的だ。コンテストでの生徒と聴衆の一体感も素晴らしく、感動が感動を呼ぶ最高のクライマックスとなっていく。正直こんな育ち方をした子ども達が羨ましい。本当に良い映画を見ることができた。

なお、良く知っている曲がコンテストでも歌われ、映画のエンディングでも流れる。その曲はビギンと森山良子さんの作った「涙そうそう」だが、見事にハワイアンソングになっている。「Ka Nohona Pili Kai」という曲なのだが、あらためて何と優しく美しい曲なのだろうと思った。




by torasan-819 | 2014-12-11 06:09 | 映画 | Comments(0)
2014年 12月 06日
山岳映画「八甲田山」
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このところ山岳映画ばかりを見ている。映画「八甲田山」は純然たる山岳映画ではないかもしれないが、八甲田山が舞台であり、以前に見たときの印象が強く、久しぶりに見ようとDVDを借りた。そうしたところ、高倉健が亡くなったとニュースで流れ驚くことになった。高倉健はこの映画の主役の一人なのだ。この映画は1902年(明治35年)1月に、日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件を題材に、新田次郎が執筆した山岳小説「八甲田山死の彷徨」を原作としている。雪中行軍の参加者210名中199名が死亡したこの事件は、世界山岳史上最大の遭難事故とも言われている。俳優は、高倉健はじめ三國連太郎、北大路欣也等々、豪華で重厚な顔ぶれである。ロケは「フィルムには空気も写る」として、八甲田山で3年に渡って行われた。吹雪のシーンは、スタッフや役者すべてが本の吹雪を待って撮影行ったので過酷を極めたという。それゆえ映像の臨場感が凄まじいが、カメラマンはあの木村大作氏である。自分も八甲田山には何度か訪れている。映画を見ると八甲田山のあの頂、あの雪原というように思い出される。この遭難事件は自然や人間など様々な要因が絡んで発生したのだが、自分も雪山冬山に入る者として、過去の教訓を忘れてはならないと強く思う。
※映画「八甲田山」について詳しいサイト → 映画「八甲田山」ファンサイト

by torasan-819 | 2014-12-06 15:23 | 映画 | Comments(0)
2014年 11月 30日
山岳映画「エベレスト 若きクライマーの挑戦」
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カナダ人がエベレストに初登頂したのは1982年のことらしい。その過程をテレビ映画にしたのが「エベレスト 若きクライマーの挑戦」で、DVDになっているのでレンタルした。今は自宅にいてポチッとするだけで2日後には届くので、楽ではあるがある意味堕落でもある。

以下は「山と溪谷」の紹介文を転載
 「訓練で仲間が滑落死した悲しみを乗り越え、1982年にカナダ人登山隊がエベレストをめざす。悪天候、雪崩、クレバスといった厳しい自然が彼らの行く手を阻む。さらに隊長への不満、ベテラン登山家のリタイアなど、隊の結束にも暗雲が立ち込める。ようやく目前に迫った頂上、しかし隊員全員分の酸素ボンベはない。過酷な試練に立ち向かい、いかにして彼らはエベレトスの頂にたどり着くのか。実際の雪山で8カ月に及ぶ撮影を行なった臨場感あふれる映像が見る者をひきつける。」

さて、1982年当時のエベレストの状況はというと、既にバリエーションルートや無酸素での登頂がなされていた。カナダ隊の酸素使用でのノーマルルートでは、登山界としては記録性も無かったと思うが、登頂の経緯も含めてカナダ国内では世間の関心もあったことなのだろう。標高7000m辺りで笑いながら走るシーンがあったりと、おやおやという部分があちこちにあるのだが、これはこれで娯楽作品として観ればそれなりに面白かった。

by torasan-819 | 2014-11-30 17:32 | 映画 | Comments(0)
2014年 11月 22日
ヤマの映画「坑道の記憶」
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ヤマの映画を見てきた。山の映画ではない。炭鉱(炭坑)のことを「ヤマ」というのだ。映画の副題に「炭坑絵師・山本作兵衛」とある。山本作兵衛は明治25(1892)年5月17日に福岡県で生まれた。15歳で炭坑夫となり、以後約50年間の炭坑夫を続けた。幼少期から絵心はあったようだが、絵を描くようになったのは昭和32(1957)年に高山事務所の夜警宿直員になってからである。以来、昭和59(1984)年に92歳で没するまで、1000枚以上の炭坑記録画を描き続けた。描き始めた理由は、孫たちにヤマの生活やヤマの作業や人情を書き残しておこうと思ったからだという。山本作兵衛の絵はやがて人の目に留まることとなり、出版されマスコミでも取り上げられるようになっていく。2011年には山本作兵衛の絵や日記など697点が、ユネスコの世界記憶遺産に登録された。この映画は炭坑絵師となった山本作兵衛を追ったドキュメンタリーである。

いい映画を見たと思う。感動した。なぜか知らぬが何度も頬を濡らした。山本作兵衛の描く絵は、本人が長く経験し見てきた炭坑のありのままの姿だ。日々炭坑での労働に明け暮れた、名も無き男が見てきた日常の記録だ。しかし、それが胸を打つのである。決して上手い絵というわけではないが、できうる限り詳細にかつ正確に描いて後世に残したいという、山本作兵衛の思いが伝わってくる。絵を通して当時の炭坑の生活、炭坑の社会が偲ばれる。そこにあったのは懸命に生きていた人々の生活であり、日常の喜怒哀楽である。まさしく「生きる」という日々の営みがあったのだ。それはまた現代においては、境遇は様々であってもこの世のほとんどの人々のことであり、自分自身のことでもある。炭坑作業の絵を透かした向こうに見えてくるものは、自分自身の日々の営みでもある。絵の中の炭坑夫に自分自身が投影され重ね合わされる。人々の生活も営みも思いも、すべてはやがて消えていく。儚いといえば儚く、哀れといえば哀れである。山本作兵衛もそう感じ、絵を残そうとしたのであろうか。共感が静かに深く体を満たす、そんな映画であった。

by torasan-819 | 2014-11-22 17:18 | 映画 | Comments(0)
2014年 11月 17日
山岳映画「運命を分けたザイル2」
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奇跡の生還を果たしたジョーは、以前のようには歩けなくなるという医者の言葉とは裏腹に、6度の手術を繰り返しハビリを続けて登山に復帰するまでになっていた。しかし、山には登り始めたものの、以前とは何かが違っていることに気付くジョーだった。そのジョーが尊敬する登山家がトニー・クルツだが、彼は1936年にアイガー北壁に挑戦し非業の最期を遂げている。ジョーはトニー・クルツの足跡を追うようにアイガー北壁を訪れ、部分的にだが実際に登る。映画は過去のトニー・クルツと現在のジョーをオーバーラップさせながら、ドキュメンタリータッチでトニーの悲劇を描いていく。トニーもジョーもザイルが生死を分けたのだが、一方は生還し一方は死んだのだ。この悲劇は最近では映画「アイガー北壁」にもなり自分も見たのだが、ナチス政権の国威発揚に利用されていた側面も描いていた「アイガー北壁」とは異なり、この作品はトニー・クルツとそのパーティーを淡々と描いているのが印象的だった。登山はたとえパーティーで登ったにせよ、極めて個人的な行為であると再認識した次第。

by torasan-819 | 2014-11-17 23:20 | 映画 | Comments(2)
2014年 11月 17日
山岳映画「運命を分けたザイル」
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=あらすじ=
1985年にアンデス山脈の標高6600mシウラ・グランデの西壁に、意欲的で野心のあるイギリスの若き登山家、ジョーとサイモンが挑戦した。2人は苦闘の末に登頂に成功する。しかし、下山中にジョーが滑落し、片脚を骨折してしまう。高山での大怪我は死をも意味するが、2人はザイルでの下降を試みる。ところが、ジョーが宙吊りとなってしまい、サイモンは究極の選択を迫られる。結局サイモンはザイルを切りジョーは落下していった…

以前から見ようと思っていたが、やっとDVDで見ることができた映画。なんと実話であり、脚色することなくドキュメンタリータッチで映像化している。自分がその場にいるような臨場感があり、息詰まるような緊迫感が続く。当事者のジョーとサイモンが出演し、自らの言葉で語っているのもより現実味が増している。ザイルを切った側と切られた側には、はたしてどのような感情があるのだろうか。そのような極限状態になったことはないし想像もできないのだが、映画の中の2人は穏やかでお互いを理解し許し合っているように見える。ジョーが自力で生還する過程が凄まじいが、その精神力の強さはどこから来るのだろうか。もし自分だったらと思うと、あっさり諦めてしまいそうに思える。シウラ・グランデ西壁の映像は圧巻で一見の価値あり。映画の中で「事故の80%は下山途中に起きる」とあったのが印象的。

by torasan-819 | 2014-11-17 00:05 | 映画 | Comments(0)
2014年 08月 20日
山の映画会のお知らせ
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山形国際ドキュメンタリー映画祭で山の映画の上映会があるようです。
以下に事務局からの情報を掲載します。
貴重な映画もあるので、興味のある方はいかがでしょうか。
私は…もちろん見に行きたいと思います。

【山を巡る特集上映「山の恵みの映画たち」】
山と人との係わりを見つめる貴重な映画を9作品上映し、山文化に係わる豪華なゲストをお呼びしてのトークショーも併せて行います。

期間:10月3日(金)〜5日(日) 会場:フォーラム山形

上映作品
3日 『ブッダ・マウンテン~希望と祈りの旅』 『劒岳 点の記』 『映画『春を背負って』~そこには何があったか~』
4日 『マタギ』 『越後奥三面 ~山に生かされた日々~』 『瀬降り物語』
5日 『森聞き』 『修験 羽黒山秋の峰』 『月山』

詳しくはこちらをどうぞ
山形国際ドキュメンタリー映画祭
山の恵みの映画たち
facebookページ

by torasan-819 | 2014-08-20 22:46 | 映画 | Comments(4)
2012年 03月 03日
映画「エンディングノート」
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いい映画だった。じんわりと泣けた。
題名になっている「エンディングノート」とは、「万が一の時に備えて、家族への伝言や、病床に伏した場合の介護・治療法、葬儀・埋葬方法、財産・保険・クレジットカードについての情報、家系図、自分史など多岐に亘る項目について健康なうちに書き留めておくもの」だという。遺言状ではないので法的な効果はないが、自分でこうして欲しいという望みや、残された家族が困ったりしないように様々な事柄を書き留めておくのだという。ちなみにエンディングノートとは誰が言いだしたか和製英語らしい。

続きはこちら

by torasan-819 | 2012-03-03 18:14 | 映画 | Comments(2)
2012年 01月 25日
山岳映画「ヒマラヤ運命の山」
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ナンガ・パルバート(ナンガ・パルバット)は世界第9位(8,125m)の標高をもつパキスタンの山で、ウルドゥー語で「裸の山」という意味だという。「ヒマラヤ運命の山」は1970年に、ドイツ隊によって行われたナンガ・パルバート(Nanga Parbat)・ルパール壁への挑戦を描いた映画で、ラインホルト・メスナーの著書『Der nackte Berg - Nanga Parbat』(邦題「裸の山 ナンガ・パルバート」) を基として製作された映画だ。
のちに超人といわれるメスナーだが、この挑戦では弟ギュンターを失いながらも生還を果たす。映画ではその兄弟が子どもの頃からクライミングに目覚め、共に成長していく過程も描く。加わったドイツ隊での人間関係と確執。8000m峰への挑戦であっても、良くも悪くも極めて人間的なものがそのまま高所へも持ち込まれる。正確には覚えていないが、映画の中でメスナーが「運命の山なんて無い。山はただそこにあるだけだ。人間がそう感じるだけだ。」と言っている。確かに山はそこにある。自分がいようといまいと…
一昨年に見た「アイガー北壁」もドイツ映画だったが「ヒマラヤ運命の山」もドイツ映画。この手の映画はドイツが作ると特に重厚で味わい深い。入場者を呼び込める映画ではないので上映館は少なく、宮城福島でも既に公開が終了した。これから見たい方はDVDが3月に発売されるので、買うかレンタルとなる。

以下に公式サイトからストーリーを転載。
”裸の山”と呼ばれるナンガ・パルバートルパール壁は、多くの登山家が挑戦し、命を亡くしていた。1970年、若き登山家として 活躍しはじめた 25歳のラインホルト・メスナーは、ヘルリヒコッファー博士の遠征隊への招待を受け、弟ギュンターと共に遠征隊へ参加することになる。1970年6月、ふたりは悪戦苦闘のすえ、子供の頃からの夢だった前人未到のルパール壁の初登攀を果たす。しかし、難所の下降にほぼ成功しかけたとき、突然の悲劇が襲いかかる。登攀成功から一週間後、下山に成功し戻ってきたのは兄ラインホルトひとりだけであった。運命の山ヒマラヤで、兄弟に一体何があったのか? 無事に帰還するという母との約束は・・・。そして、その登頂をめぐって遠征隊とのスキャンダルがドイツの国中に駆け巡ることになった理由とは・・・。

by torasan-819 | 2012-01-25 07:19 | 映画 | Comments(4)