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2013年 12月 31日
2013年よさようならの大晦日
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年末は28日から30日まで御所掛温泉ツアーに行ってました。
オンドルの暖かいというか暑すぎるほどの部屋に2泊し、山スキーを楽しんで来ました。
レポートは正月明けになります。

それでは皆様、本年も当ブログをご覧いただきありがとうございました。
また来年も自分勝手に山中心の記事をアップすることになると思います。
気が向いたら訪問してください。
では良いお年を!

by torasan-819 | 2013-12-31 14:06 | その他 | Comments(6)
2013年 12月 31日
鹿角ホルモン「幸楽」
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以前より秋田県は鹿角市のホルモンは美味いと聞いていた。
秋田県とはいっても北秋田なので、ホルモンだけのために行くにはちょっと遠い。
この年末に後生掛温泉へ行くことになったので、念願のホルモンを食べに行くことになった。
というよりも、この時期の後生掛温泉と鹿角ホルモンはセットということらしい。
冬季はアスピーテライン等が通行止めなので、高速を鹿角八幡平で降りて後生掛温泉へと向かう。
ぐるっと八幡平を回り込むのだが、そのついでにホルモンを食べようということなのだ。
ホルモンの店「幸楽」は、鹿角市の中心街通りの1本西側の細い通りにある。
駐車場は3台分しかないのですぐ満車だが、近くに有料駐車場があり、店に言えばサービス券がもらえる。

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by torasan-819 | 2013-12-31 12:03 | 食いもん | Comments(2)
2013年 12月 24日
ホワイトアウトの湯殿山 ~ 2013年12月23日
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この3連休最終日は湯殿山へと向かった。途中でカメラを忘れたことに気付きがっかりする(今回の画像はすべて和○さん撮影)。奥羽山脈を日本海側へ抜けると、いつものことながら太平洋側とは段違いな積雪量に驚く。志津温泉には8時過ぎに到着。除雪終了点手前の駐車スペースにはすでに6~7台駐車してあり、皆さん登る準備をしている。車を止めると隣に見覚えのあるお方。飯豊朝日連峰の麓からのgamouさんだった。今日は湯殿山に登ろうと思っているという。後から到着したAさん他1名とそうそうたるメンバーで即席パーティーを組むと、湯殿山へと登っていった。そうこうしているうちにも続々と車が上がってくる。少し遅れた和○さんが車を止めると、ほぼ満車となった。
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 山域山名   月山 湯殿山(1,500m)
 山行期間   2013年12月23日(月)
 山行形態   山スキー
 天候      曇り
 参加者    7人(L:和○さん・佐○さん・河○さん・○井さん・深○さん・川○さん・トラ山)
 行程      志津温泉9:04~ネイチャーセンター9:32~石跳川渡渉10:25~森林限界11:32~湯殿山12:20~
          石跳川渡渉14:10~ネイチャーセンター14:30~志津温泉14:51
 行動時間   5時間47分
 移動距離   10.1km (GPS計測)
 累積標高差 ±990m (GPS計測)
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by torasan-819 | 2013-12-24 19:33 | 山スキー | Comments(10)
2013年 12月 21日
白石スキー場オープン
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20日に地元のスキー場、白石スキー場がオープンした。
オープン初日から全コースが滑降可能となるのは、なんと15年ぶりなのだそうだ。
例年12月中は雪不足のことが多かっただけに、関係者はホッとしていることだろう。
さて、オープン翌日の3連休初日に滑ってきた。
さぞかしゲレンデも賑わうかと思ったのだが、あにはからんや空いているのである。
地元客が大半のローカルスキー場なので、ドッと人が繰り出すということにはならないのだろう。
ちょっと心配ではあるが、明日以降に期待するとしよう。
※画像は昼時に撮ったので、なおさら人が写っていない。

by torasan-819 | 2013-12-21 22:18 | その他 | Comments(2)
2013年 12月 19日
山登りアーカイブス 2008年12月20日~初めての雁戸山
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蔵王連峰の北蔵王と呼ばれる山域に、雁戸山という標高1484.6mの山がある。宮城県と山形県を分ける県境尾根であり、南雁戸山と双耳峰をなしている。ピラミダルな山容が目を引き、登ってみたいと思わせる山である。その雁戸山に初めて登ったのは、年の瀬も押し詰まった、2008年の12月20日だった。
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昨日20日は雁戸山へ行ってきた。あまりに天気が良かったのでじっとしていられなくなり、朝の食卓で女房に「行ってくる」とだけ言うと「山でしょ」。この頃は行動が読めるようになってきたようだ。でも「好きだね~」の一言は余計かな。予定ルートを記した地図を女房に渡し車のハンドルを握る。雁戸山は蔵王連峰の北側に位置する1484.6mの山だ。自宅から登山口まで40キロほどの地元ともいえる山だが、雁戸山に登るのは今日が初めてになる。今年登ろうと思いながらもこの時期になってしまった。今日のルートは笹雁新道から雁戸山を目指し、帰りは前山から有耶無耶関跡へ降りてというループ状のコースとした。まだこの時期は雪が少ないうえ、ここ1週間でだいぶ融けている。標高を上げるにつれ表面が凍っている雪になった。標高950m付近でアイゼンにする。何日か前のハンターと猟犬であろう踏み跡とテープが所々にあったのだが、いつしか見あたらなくなってしまった。大体の見当を付けて登っていく。

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by torasan-819 | 2013-12-19 21:24 | 山登りアーカイブス | Comments(0)
2013年 12月 18日
山と渓谷1月号(後烏帽子岳遭難事故記事)
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後烏帽子岳の遭難事故については、このブログで2回記事にしました。その後も考え続け、友人知人と何回も話しをしました。個人的にもいろいろと思うところがあり、自分としてはこだわりたい、いやこだわらなければならない事故だと考えています。この遭難事故について、今月の「山と渓谷」1月号のP218に「防寒着と食料なしには3日と生きられない、晩秋の山の恐ろしさ」として載りました。ライターの野村氏はこの遭難に関心を持っていたところ、私のブログを見つけて概要がわかり記事にしたとのことです。今回の遭難事故について、経過と要点がしっかりまとめられています。記事の末尾に「検証をしっかりと行い、できれば公開していただきたいと思う。」とあります。そこまでは難しいかもしれないが、今後も検証作業は続けたいと考えています。

後烏帽子岳での遭難者捜索
後烏帽子岳遭難事故について

by torasan-819 | 2013-12-18 05:08 | | Comments(0)
2013年 12月 15日
刈田岳井戸沢の雪崩について
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この週末はいい感じで雪が降っていますが、私は所用があり山はお休みです。先週の雪崩について、とある方から新しい画像を提供していただいたので掲載してみます。画像の提供者はToshihitoさんというボーダーの方で、我々の翌日の9日に刈田岳に登り滑ったようです。画像には前日の雪崩全体が写っていたので、雪崩の発生状況について考えてみました。
※画像はすべて、クリックして切り替わった画像の右下の「+」を、再度クリックすると拡大します。

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by torasan-819 | 2013-12-15 13:14 | 山スキー | Comments(0)
2013年 12月 08日
雪崩に冷や汗の刈田岳 ~ 2013年12月8日
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日本海側と比べて降雪量の少ない太平洋側では、12月上旬にスキーで登ることの出来る山となるとあまり無い。特に宮城県はほとんど無いので、我々は月山に足を伸ばすことが多い。蔵王の刈田岳へのスキー登高も、普通は12月下旬、早くても中旬という感覚であった。しかし、8日は時間的に遠出が出来なかったので、歩くだけでもと思い試しに登ってみることにした。
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 山域山名   蔵王連峰 刈田岳(1,758m)
 山行期間   2013年12月8日(日)
 山行形態   山スキー
 天候      曇り時々晴れ
 参加者    4名(L:トラ山・加○さん・高○さん・odamakiさん)
 行程      すみかわスキー場8:28~ゲレンデトップ9:26~大黒天10:22~刈田岳12:00~刈田岳避難小屋12:03-12:13~
          大黒天13:07~ゲレンデトップ13:25~すみかわスキー場13:40
 行動時間   5時間12分
 移動距離   約13.4km (GPS計測)
 累積標高差 約±870m (GPS計測)
 装備      山スキー日帰り装備
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by torasan-819 | 2013-12-08 15:24 | 山スキー | Comments(14)
2013年 12月 07日
会報725 No.44
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福島登高会の会報725のNo.44が発刊された。
2012年の山行記録集なので9月頃には発刊と考えていたものが、校正作業などに時間がかかり12月となってしまった。
全156ページで、山スキー20、雪山2、沢登り14、無雪期登山43の、計79編の記録が収められている。
会員の2012年の全山行回数は138回なので、半分以上の山行が記録として残されたことになる。
たった14人の山岳会であり、諸事情からなかなか山に行けないメンバーも多いが、山岳会として会報が発刊できたのは喜びである。
なお巻末には、会として継続して取り組んでいる、福島県の山岳放射線量調査結果を添付している。

自分の山行記録も多数載っているが、そのすべてはこのブログに掲載したものである。
校正作業で読み返し、紙の上の活字になってまた読み返すと、まざまざとその時の状況が思い起こされる。
反芻することにより、自分の中でそれぞれの山行がより深化し、またあらたな命を与えられたような気がする。
編集後記には、「登山は計画から始まり、実行し記録として整理することによって完結する」とある。
いろいろ考えはあるだろうが、我々はそんな考え方で山に登っているのだ。

※会報の「725」という名称は、ホエーブス社のストーブの中でも小型なモデル725よりいただいている。
  かつて登山用ストーブと言えば、ホエーブスというほどの定番ストーブであった。

by torasan-819 | 2013-12-07 09:57 | | Comments(0)
2013年 12月 03日
読書 「聖職の碑」
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聖職と言えば高僧などの他に、教師という職業を指すこともある。どちらかというと自分は、教師という感覚が強い。若い人にはピンと来ないであろうこの言葉は、現代では死語になっている感じはするが、自分のような世代にとってはまだ十分にイメージできる。この本の題名は「聖職の碑」』(せいしょくのいしぶみ)という。数年前に文庫本で購入したが、その分厚さから読むのを先延ばしにしていた。これではいかんと、やっと重い腰を上げて読み始めた次第。作者は山を舞台とした小説を多く書いている新田次郎。この聖職の碑は、木曽駒ヶ岳(標高2,956m)で発生した遭難事件を題材とし、書き下ろし長編小説として1976年(昭和51年)に発刊された。

その遭難事件は1913年(大正2年)8月26日というから、今からちょうど100年前に発生した。当時の長野県中箕輪高等小学校では、修学旅行として木曽駒ヶ岳の登山を行っていた。一行は生徒25名、地元の青年会員9名、引率教師3名(校長他2名)の総勢37名。山頂にある伊那小屋で1泊して下山する計画だった。出発時には想定し得なかった天候の急変により、稜線まで登る頃には風雨が激しくなっていた。夏とはいえ3000m近い高山ゆえ、濡れた体に当たる風で体温はどんどん下がる。やっとたどり着いた伊那小屋だが、小屋は無惨なことに半壊状態でとても泊まれるような状況ではなかった。周辺のハイマツや持参したゴザで応急的に修復したが、とうてい暴風雨となり叩きつける雨を防げるものではなかった。火を熾すこともかなわず、震える寒さの中、眠らないよう声をかけ励ましていた。しかし、ついにひとりの少年が疲労凍死したことをきっかけとして、集団としての統率は崩壊した。外に飛び出し下山しようとする者が発生し、小屋の屋根代わりのゴザをはぎ取った。もはや小屋は風をしのげる場所ではも無くなったのだ。激しい風に翻弄され、ある者はかろうじて樹林帯に逃げ込み、ある者は打ち倒され稜線で骸となった。結果として、生徒9名、青年会員1名と校長がの11名が命を失う大惨事となった。翌年駒ヶ岳の稜線には、この遭難事故の記念碑が建てられた。

以上が事件のあらましだが、著者は木曽駒ヶ岳を望める地に生まれたがゆえ、この遭難事件があったということは知っていたようだ。そして、いつか小説にしたいと思っていたようである。小説にするにあたり、著者は自ら駒ヶ岳に登り地域風土を丹念に取材し、当時まだ生存していたその当時の少年にも聞き取りしている。そのあたりのことは、巻末に長文の「取材記・筆を執るまで」が付されており、そこに詳しく書かれている。著者のこの遭難事件に対する思い入れが、いかに深かったかの表れでもあろう。また、なぜ遭難「慰霊碑」ではなく遭難「記念」碑なのかについても、その経緯が記されている。この小説を読み進むほどに、描写のひとつひとつが自分の中で鮮明なイメージとなり、あたかもその場に自分が居合わせているかのような臨場感を感じることとなった。ある時は引率した赤羽校長になり、ある時は稜線で彷徨う生徒になり、彼らの視点で疑似体験をしていった。著者の山や自然への深い造詣からくる描写力とともに、自分も山の実体験があるからであろう。

当時の信濃教育界の教師の中には、実践主義教育と理想主義教育という教育方針の対立があったという。それは遭難の直接の原因ではないが、駒ヶ岳登山を遂行するきっかけとなっていた。しかし、極限の中で生徒の命を救おうとする時に、何々主義などという垣根はなく、我が身を投げ捨てて生徒の命を守ろうとする教師の姿があった。題名が聖職の碑とされた所以である。小説の中の教師達は、理想に燃え使命感にあふれている。教師がまずもって尊敬すべき存在であり、生徒達は教師を敬愛し、教師もまた生徒達を慈しみ育んでいる。自分にとっては懐かしく、古き良き時代のことのように思える。現代ほど「聖職」というものの存在が難しい時代は、かつて無かったのではないだろうか。友人知人に教師は多いが、彼ら自身はどう考えているのだろうか。なお、この遭難事件の後も、駒ヶ岳への学校登山は途絶えることなく続けられているという。遭難事件はあったが、そのことに真摯に向き合い反省検証し、人間形成の場としての価値を認めたがゆえのことだろう。

なお、この小説は1978年(昭和53年)には映画化された。その前年に大ヒットした映画『八甲田山』と同じく森谷司郎監督と、あの「点の記」の木村大作カメラマンのコンビである。ところが、興行的にはあまり良くなかったようで、自分は当時そんな映画があったということさえ知らなかった。しかし、DVDが出ているので、近いうちに是非見てみようと思う。そしていつか、木曽駒ヶ岳に登ってみたいものだ。

by torasan-819 | 2013-12-03 01:49 | | Comments(4)