人気ブログランキング | 話題のタグを見る
2014年 11月 22日
ヤマの映画「坑道の記憶」
ヤマの映画「坑道の記憶」_f0170180_1842171.jpg

ヤマの映画を見てきた。山の映画ではない。炭鉱(炭坑)のことを「ヤマ」というのだ。映画の副題に「炭坑絵師・山本作兵衛」とある。山本作兵衛は明治25(1892)年5月17日に福岡県で生まれた。15歳で炭坑夫となり、以後約50年間の炭坑夫を続けた。幼少期から絵心はあったようだが、絵を描くようになったのは昭和32(1957)年に高山事務所の夜警宿直員になってからである。以来、昭和59(1984)年に92歳で没するまで、1000枚以上の炭坑記録画を描き続けた。描き始めた理由は、孫たちにヤマの生活やヤマの作業や人情を書き残しておこうと思ったからだという。山本作兵衛の絵はやがて人の目に留まることとなり、出版されマスコミでも取り上げられるようになっていく。2011年には山本作兵衛の絵や日記など697点が、ユネスコの世界記憶遺産に登録された。この映画は炭坑絵師となった山本作兵衛を追ったドキュメンタリーである。

いい映画を見たと思う。感動した。なぜか知らぬが何度も頬を濡らした。山本作兵衛の描く絵は、本人が長く経験し見てきた炭坑のありのままの姿だ。日々炭坑での労働に明け暮れた、名も無き男が見てきた日常の記録だ。しかし、それが胸を打つのである。決して上手い絵というわけではないが、できうる限り詳細にかつ正確に描いて後世に残したいという、山本作兵衛の思いが伝わってくる。絵を通して当時の炭坑の生活、炭坑の社会が偲ばれる。そこにあったのは懸命に生きていた人々の生活であり、日常の喜怒哀楽である。まさしく「生きる」という日々の営みがあったのだ。それはまた現代においては、境遇は様々であってもこの世のほとんどの人々のことであり、自分自身のことでもある。炭坑作業の絵を透かした向こうに見えてくるものは、自分自身の日々の営みでもある。絵の中の炭坑夫に自分自身が投影され重ね合わされる。人々の生活も営みも思いも、すべてはやがて消えていく。儚いといえば儚く、哀れといえば哀れである。山本作兵衛もそう感じ、絵を残そうとしたのであろうか。共感が静かに深く体を満たす、そんな映画であった。

by torasan-819 | 2014-11-22 17:18 | 映画 | Comments(0)


<< 初冬の豪士山に登る ~ 201...      山岳映画「運命を分けたザイル2」 >>